以前、書いとこうと思っててヴァイオリンの話ではないことを書いてました。
そこに登場していた祖父ですが、先日亡くなりました。
手術は成功した、でもその後、肺炎、てんかん、人工呼吸器をつけるために気管切開。
手術して良かったのか、と家族でちょこちょこ上がる話題。やっぱりもう少しでもいいから生きていて欲しかった。お家に帰ってきて欲しかった。そう思ってしまうと悲しくて涙が出てきてしまいます。もし手術をしないという選択をして、まだ生きていたとしても、手術していない場合、余命半年と言われていました。余命半年、あなたは後半年ほどで死ぬでしょうってお医者さんから言われて、最後まで生き抜くことってそれもとても辛いことじゃないのか、祖父本人もそばにいる人も気持ちを強く持たないと難しいことですよね。祖父の場合、ガンの種類がタチの悪いもので、病理の後、再発の可能性が非常に高いものです。ざっくり大きく手術できたけど、と話を濁されてしまう感じ。手術は成功してます。でも再発します。
なんでなんやろう?
人は自分ではままならないことばかりなのかもしれないですね。
脳の手術の後、療養の病院に移って状態が落ち着いていたのですが、ある日、スッと亡くなりました。
病院に着いたときにには人工呼吸器も外されていて、動かない祖父がありました。まだ暖かいし、目を開けてくれそうな雰囲気。もう動かない。でもやっとしんどい体から解放されたのか。気管切開したことで会話ができず、お互いに意思疎通ができない歯痒さ、でも祖父の本心を聞くのも怖かった。しんどい、帰りたい、とかもし言われたらもうかける言葉もない。
お葬式も無事終わり、体もなくし、今日が四十九日の法要です。
仏様として、家族のそばにいてくれるんだろうと思ってます。
自分に近しい人が亡くなって初めて、人がいなくなる感覚を突きつけられた感じ。人が生きていることが当たり前じゃないのだと改めて思いました。会おうと思ったらすぐに行動しないといけないし、話したいならしとかないといけない。謝ろうと思って先延ばしにするのもダメだし、時間は有限であることを感じた。自分の親は先に亡くなる。親孝行は生きているうちにしないとダメだとあらためて思います。
頭では理解してても、当たり前のことって忘れがちなんだなと思った。
今からでも自分に後悔がないように生きていきたいと思う。